軒端の梅
三聖堂・比翼塚・軒端の梅
鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。
そして、子孫・蜂谷掃部(かもん)は、子宝に恵まれぬことから、観音さまに祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎と名づけられました。
小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。
小太郎が十五歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束したのです。
ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。
掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。
後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。
小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。
蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。
●松島海岸駅から徒歩5分
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