観瀾亭

県指定 有形文化財 建造物(松島町) 昭和28年3月3日指定

伊達家の御仮屋御殿として建てられたもので、5代藩主伊達吉村によって観瀾亭と命名された。
文禄年中(1592から1596年)に豊臣秀吉から伊達政宗が譲り受けた伏見城の1棟で、江戸の藩邸に移築したものを更に2代藩主伊達忠宗が松島月見崎に移したと伝えられている。
桁行8.5間・梁間5間、屋根は寄棟造、こけら葺。
素木造で、四方に縁をめぐらした簡素明快な亭風の建築である。床の間の張付絵や襖絵は、壮麗な桃山式極彩色で描かれている。
柱間1間6尺5寸の京間であること、軽快な起りを持つ屋根や壮麗な張付絵などから推して、桃山時代の建築であると考えられていたが、最近発見された御仮屋絵図により、正保ないし慶安の火災後に再興された御仮屋御殿の一部居間とみるのが妥当であろうとされている。

 

瑞巌寺総門

県指定 有形文化財 建造物(松島町)昭和55年8月1日指定 

薬医門で、屋根は切妻造本瓦葺で、妻には梅鉢懸魚が付いている。
軒は一軒疎垂木で両袖に太鼓塀が付く。
太鼓塀は切妻造本瓦葺で、屋根の端に瓦製の桃の実が付いており、妻にはかぶら懸魚を掲げている。
建築時期は明らかでないが、様式から瑞巌寺創建時の慶長年間(1590から1615年)と考えられる。
県下最古の豪快な薬医門である。

 

日吉山王神社本殿

県指定 有形文化財 建造物(松島町) 昭和46年3月2日指定

三間社流造。屋根は銅板葺。
素木造で舟肘木など簡素な和様風で、妻飾りは豕扠首である。
もと天龍庵のほとりにあったが、寛永17年(1640年)現在地に移し、宝永7年(1710年)上棟、同8年落慶した。
指定前に銅板に葺替えるなど、修理が行われている。
寛永17年の棟札2枚と「宝永七年龍集庚寅臘月十五日」の棟札がある。