有形文化財(建造物)
●圓通院(えんつういん)山門 1棟 昭和45年10月1日指定
圓通院は、伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗(二代藩主忠宗の次男)の霊廟(れいびょう)で、正保4年(1647年)瑞巌寺第100世洞水(どうすい)和尚により開山されました。 |
●富山(とみやま)観音堂 1棟 平成21年8月13日指定
観音堂は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が大同年間(806から810年)に慈覚大師作と伝えられる観音菩薩像を安置したと伝えられています。 |
●初原天神社厨子(ずし) 1棟 昭和45年10月1日指定
神殿厨子、1基、江戸時代の建築です。 |
●陽徳院山門 1棟 昭和45年10月1日指定
陽徳院は、承応2年(1653年)に86歳で亡くなった、仙台藩祖伊達政宗の正室愛姫(めごひめ)の廟所を護る香華院(こうげいん)です。 二代忠宗が、母生前の修養道場として雲居和尚を開山に迎え、慶安3年(1650年)に造営(開創)しました。現在は、臨済宗の専門道場になっています。 山門の建築は江戸時代で、主柱はケヤキ、他は杉材を使った一間一戸・袖塀つき・萱葺・切妻造の薬医門になっています。 簡素に見えますが豪快な造りです。明治以前までは瑞巌寺の参道両脇にあった塔頭(たっちゅう)であったと伝えられています。 |
●圓通院本堂大悲亭(えんつういんほんどうだいひてい) 1棟 昭和47年6月27日指定
圓通院は、正保2年(1645年)に若くして江戸で死去した伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)である光宗(二代藩主忠宗の次男)の廟所(びょうしょ)です。 正保4年(1647年)瑞巌寺第100世洞水和尚によって開山されました。 本堂は、光宗が江戸の納涼(のうりょう)の亭として使っていた建物を、海路でこの地に移築したもので、圓通院本堂大悲亭と名づけられています。 屋根は寄棟造、萱葺平屋の二間造で洞水和尚の筆による「圓通院」の扁額(へんがく)が掲げられています。 |
●水主町(かこまち)の民家 1棟 昭和47年6月27日指定
水主町は瑞巌寺の東に隣接する一画で、仙台藩主などが松島遊覧の際の御座船(ござぶね)を操った水主衆が集団で暮らしていました。水主は瑞巌寺造営開始(1604年)当時、地元や和歌山・静岡・愛媛などから雇用されてここに住み、往時には48軒にものぼりました。 住居は藩の決まりで萱葺、寄棟造、表通りに面して出格子(でごうし)と蔀戸(しとみど)を設け、冠木門(かぶきもん)を構え、天井は上げませんでした。 昭和51年に最後に残った1棟を移築復元して保存しています。 |
●三聖堂(さんせいどう) 1棟 昭和53年7月15日指定
天和2年(1682年)瑞巌寺第101世鵬雲(ほううん)和尚によって建てられた堂は、方3間素木(しらき)造、屋根は宝形(ほうぎょう)造で萱葺、正面に一軒の向拝(こうはい)のついた質朴端正な建物です。 堂内は正面中央に聖観世音菩薩像、左に達磨大師像、右に菅原道真像を安置したことから三聖堂と言われます。 堂は、当初は北向きに建てられましたが、宝永6年(1709年)に参拝者の便をはかるため、南向きに改められて現在に至っています。 なお創建以来、屋根の葺き替え以外の修理は行われておらず、ほぼ創建当時の姿のままを見せています。 「三聖堂」の扁額は創健者である鵬雲の筆によるもので、創建当時の棟札が今もなお残されています。 |
●解脱院(げだついん) 1棟 昭和47年6月27日指定
堂は江戸時代初期に建てられたもので、屋根は宝形造のトタン葺(元萱葺)です。 最初は現在の天麟院の裏手の丘にありましたが、寛永17年(1640年一説には寛永19年)に瑞巌寺第99世雲居(うんご)和尚によって水族館の場所に移され、さらに昭和12年の水族館建設によって現在地へと移されました。 |