第五巻
雲居(うんご)禅師筆額
▲雲居禅師筆額(雲居禅師の述べる、 人としての道徳が集約されています) |
雲居希膺(きよう)は天正10年(1582年)に伊予国(現愛媛県)で生まれ、その後京都の妙心寺(みょうしんじ)に入り、一宙和尚(いっちゅうおしょう)について修行しました。 雲居の高名が政宗に伝わり、瑞巌寺の住持に懇請しましたが、雲居は固辞しました。政宗は雲居が考えを変えないのを敬慕し、洞水東初(どうすいとうしょ)を遣わしました。 雲居は洞水の説得を受け入れ、政宗は到着を待ちましたが、亡くなりました。 二代忠宗は政宗の遺志を重んじて、使者に途中まで出迎えさせ、雲居は寛永13年(1636年)に瑞巌寺九十九世の住持になりました。 雲居は瑞巌寺の臨済宗妙心寺派としての基礎を築き、陽徳院や大梅寺(現仙台市太白区)の基礎も形成しました。 |
この筆額の書き下し文です(『訓注雲居和尚語録』)。
福は清倹より生じ、徳は謙譲より生じ、道は安静より生じ、命は和暢(わちょう)より生じ、患(うれい)は多欲より生じ、禍(わざわい)は多貪(たたん)より生じ、佛は慈悲より生じ、魔は邪険より生ず。
(1)天下に二道なく、聖人に両心なし。
邪険なれば則ち家国喪亡(そうぼう)し、仁慈なれば則ち家国興盛(こうせい)す。佛法と王法と是れ一般。
希膺(花押) 清倹はきよらかでつつましいことで、和暢はのどかなことです。
(1)は、中国古代の思想書である『荀子』からとった言葉です。
仏法は仏の悟った真理で、王法は政治です。雲居が人としての道徳を述べています。
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