「鍾景閣(しょうけいかく)」

 扁額当館には、「鍾景閣」という旧伊達邸の名称を書いた扁額が展示してあります。
「しょう」という字のつくりは正式には「なべぶた」に「里」ですが、現在では便宜上、「鍾」という字を用いています。
この扁額の裏には、「享保(きょうほう)九甲辰年孟春望左近中将(きのえたつどしもうしゅんぼうさこんちゅうじょう)藤吉村」と書いてあります。
これは、享保9年(1734年)1月15日に仙台藩五代藩主の伊達吉村がこの扁額を書いたことを表しています。

「鍾景閣」は、もとは仙台市若林区一本杉にあり、明治37年(1904年)頃に建築された伊達家の私邸です。
江戸時代、仙台城が伊達家の住まいでしたが、明治期に入り、家臣佐々氏の下屋敷を買い取って邸宅とし、十四代当主伊達宗基(むねもと)の時代に後の十五代当主である伊達邦宗(くにむね)が建て直しました。

昭和22年(1947年)昭和天皇が東北地方を行幸された際には御泊所となり、一時は知事公館としても利用され、昭和27年(1952年)に伊達家から聖ウルスラ学院に譲渡されています。
現在の建物は、昭和55年(1980年)に仙台市が無償で寄付を受け、解体保存されていたものを昭和58年(1983年)に太白区茂庭(もにわ)に復元再築されたものです。
藩政時代の大名屋敷によく似た構造・配置になっています。

なお、設計者はウィーン万国博覧会の日本建築の設計監督を務めた山添喜三郎(やまぞえきさぶろう)です。


▲「鍾景閣」の扁額