第六巻
エドマンド・ブランデンの詩碑の拓本と詩の筆額
▲エドマンドブランデンの詩の筆額 |
イギリス人のエドマンド・ブランデンの詩碑の拓本と詩の筆額を展示しております。 ブランデンは、1896年にロンドンで生まれ、オックスフォード大学で学びました。1924年から4年間、東京帝大(現東大)文学部の英文学教授として教鞭を執り、一九四七年に再来日しました。 昭和23三年(1948年)10月5日にブランデンは松島に来て、この日の印象を〝MATSUSHIMA″という詩に認(したた)めました。 それを当時の伊藤政治町長は栗原郡築館村(現栗原市築館)出身の詩人である白鳥省吾(しろとりせいご)に訳詩を依頼しました。 その〝MATSUSHIMA″の詩碑が新富山に建てられ、昭和36年(1961年)8月26日に除幕式が行われました。 その詩碑の材質は石巻の稲井(いない)石で、白鳥の訳詩も彫られています。 白鳥省吾は、明治23年(1890年)に生まれ、早稲田大学大学部文学科英文学科(現文学部英文学コース)を卒業しました。 評論や随筆、童謡などを書き、宮城県内の学校の校歌を多数作詞しました。松島高校の校歌も作詞しました。 彼の生家跡の近くには土蔵を改造した記念館があります。 |
白鳥省吾の訳詩です。
快よき響かな松島のその名人は皆まだ見ぬその地憧れてその島々と松を見るときはなほ更に船路ゆきかひ愛(め)づるなり
景色にまさる快調の心内の耳に無言に歌ひつつ御(み)堂と波浪の間なる
大島小島とりどりにその本然(ほんねん)の調べもて夢の歌をばかなでたり
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